てゐる。凡そ現代の如く個人主義がその完全な発想をなすの機会を失ひ、健全なる状態に於て自から肯定する事を得ざる時代は人類の歴史以来初めてのことなのではあるまいか。
正直な目的のために没頭せる個人的特色ある教育家、独創的思想を抱く文学者及び芸術家、独立|不覊《ふき》の科学者或は探究家、妥協せざる社会改良家――これ等の人々は老衰のため学識と創造力とを全く失つてしまつた人々によつて日々壁の一隅に押付けられてゐる。
フエラア型の教育者(Francisco Ferrer――革命的教育家、一九〇九年九月一日、教権に反抗せりとの故をもつて西班牙《スペイン》政府の捕ふるところとなり、同十月十三日獄中にて銃殺せらる。――訳者)は現社会にあつては何処にも入れられないのである。衆愚と自働機械の時代に於てはかの俗流に媚ぶるエリオツト或はパツトラア教授の如き人々でなければ成功と永続とは覚束ないのである。文界及び劇界に於てもハンフレイ・ワアズ或はクライド・フイチエスの如きが群衆の偶像であるにひきかへ、エマアソン、トロウ、ホイツトマン、イブセン、イエツ、ステフエン・フイリツプスの如き天才の美を認識する者は極めて少
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