。徹頭徹尾独創力と道義的勇気とを欠いてゐる多数者は常に自己の運命を他の手に托した。自己の責任を負ふて立つことが出来ない彼等は指導者の導くがままに奈落の淵にまでも追従せんとするのである。『われ等の中にあつて最も恐るべき真理と正義との敵は団結せる多数者である。呪はれたる群衆である』と叫んだストツクマンは正しかつた。凡《およ》そ群衆の如く革新を憎むものはあるまい。彼等には新しき第一歩を踏み出す力もなければアンビシヨンもないのである。彼等は常に新しき真理の革新者、先駆者を弾劾し迫害し来つたのである。
 現代は個人主義の時代であり、少数者の時代であるとは全ての政治家、社会主義者を問はず一様に提唱し又|屡々《しばしば》繰返される鯨波《スローガン》である。只だ浅薄皮層に止まる人々のみかくの如き見解によつて惑はされるかも知れない。如何にも少数者は世界の富を蓄積した。彼等は実に現代の主人であり、絶対の帝王である。然しながら彼等の成効は決して個人主義の影響によるものではない。否、全く群衆の怯懦と怠慢と絶対服従とに起因してゐるのである。群衆は只管《ひたすら》支配せられ、圧制せられ、指導せられんことをのみ求め
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