は、其処に送られた政治犯人によつて発見された。彼等はそれを外に居る友人達に知らせた。友人達はルナチヤルスキイと一緒に、それを問題にした。そして結局、子供達は監獄から出された。
五
だが、其の『道徳的不具者』のための学校や殖民地は監獄よりはもつとよくない。青年共産党の委員会で作つた調査は、それ等の学校の悲惨を訐《あば》いた。其の報告はペトログラアドで一九二〇年五月のプラウダに発表された。それは既に屡々《しばしば》嫌疑されてゐた事、即ち『死んだ魂』の一般的に行はれてゐる事や、子供の定食糧を食ふ附属物が沢山ゐる事や、其他の贈賄方法や何にかだ。委員会が見出した例としては、百二十五人の子供がゐる学校の内に百三十八人の附添ひがある。また他の処では二十五人の子供達に三十八人の附添ひだ。しかもそれは例外の事ではないのである。
其の上に委員会の通信は子供達が酷く疎略にされてゐる事を明かにした。子供は汚いボロにくるまつて、そして不快な臭のする敷布なしの寝具の不潔な上で寝る事を許されてゐる。そして、或る子供達は、罰を受けて夜真暗な室の中に閉ぢ込まれてゐる。又他の者は夕飯を抜く事を強制され、
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