三になつた。
 ある夜、何にうなされたのか、覚えはなかつたが、はつと眼をさますと、蒲団も畳もなくなつてゐて、板の上に寝てゐると思つた、いきなり飛び起きて、
「泥棒や、泥棒や。畳がない。」
 乾いた声でおろおろ叫びながら、階下の両親の寝室へはいつて行くと、スタンドがまだついてゐて、
「え、泥棒……?」
 と、父親の驚いた手が母の首から離れた。
 母も父親の胸から自分の胸を離して、
「畳がどうしたのです。楢雄、しつかりしなさい。」
 くるりと床の間の方を向いて、達磨《だるま》の絵にむかつて泥棒や泥棒やと叫びながら、ヒーヒーと青い声を絞りだしてゐる楢雄の変な素振りを、さすがに母親の寿枝はをかしいと思つたのだ。
「二階の畳が一枚もない。眼鏡もとられた。」
 そして楢雄はつと出て行くと、便所にはいり、
「津波が来た。大津波が来て蒲団[#「蒲団」は底本では「薄団」]も畳もさらはれた。猿股《さるまた》の紐が流れてくる。」
 あらぬことを口走りながらジヤージヤーと板の間の上へ放尿したのち、ふらふらと二階へ上ると、けろりとした顔で元の蒲団の中へもぐり込み、グウグウ鼾《いびき》をかいた。隣の蒲団では、中学
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