、はじめての経験では、他人の袂に無断で手を突っ込むということは、よほど魔がささねば出来なかった。
悪の魔――次郎にはまだそれが訪れて来ないのだ。
ところが、やがて電車が来て、並んでいた人々が動き出し、針助も二三歩前へ進みかけた途端、次郎は何かあわてて、いきなり針助の体を押すように、ぺたりと背中へ自分の体をつけた。
その拍子に次郎の手が針助の袂に触れた。
「今や……」
次郎は眼の前がぽうっと霞んだ。そして何もかも無我夢中だったが、はっと気がつくと、
「こいつッ!」
と、針助の声を水のように浴びていた。
次郎の手は針助に握られていた。
「あっ!」
と、驚いたのは、次郎よりも三郎の方だった。
三郎はものも言わずに駈け出そうとした。
が、針助の手はいきなり伸びて三郎の首筋を掴んでしまった。
「お前もやな……?」
「…………」
「お前も来い!」
針助は次郎と三郎を両手でひきずるようにして、電車に乗せてしまった。
――咄嗟の間の出来事だった。
電車は案外混んでいなかった。
針助はあいた席を見つけて、次郎と三郎を自分の両脇に坐らせた。
次郎と三郎はそれぞれ片手を針助にぐっ
前へ
次へ
全141ページ中86ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング