った。
「ありがとう」雨の音で消されてしまうくらいの小さな声で言って、娘は飛びつくように、レインコートにくるまってしまうと、ほっとしたようだったが、しかし、なお恐怖の去らぬらしい険しい表情を、眉に見せて、
「…………」
 小沢にすがりついて、ガタガタ顫えていた。
 言葉がないだけに、一層必死の気持が現れているようだった。
「…………」
 小沢も口は利かず、咄嗟に身構える姿勢で、その娘が来た方向へ、眼を光らせた。
 そして、暗がりの中に不気味に光っている雨足を透して、じっと視線を泳がせていると、ふと黒く蠢いた気配がした。
 はっと思った。
 が、気のせいかも知れない。それとも、雨のせいだろうか……。
 黒く蠢いたように思ったものの、一向に動き出して来る気配はなかった。
「……追われているわけでもないんだな」
 そう呟いた途端、角の家の門灯がすっと消えた。
 雨はますます激しくなってきた……。

 小沢はどきんとした。
 たった一つ点っていたその角の家の門燈が、突然消えたのには、何か意味がありそうだった。
 あるいは偶然かも知れない。が偶然にしても不吉な偶然だと思った。
 よしんば雨のため
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