くと、すぐ膳部《ぜんぶ》の運びから燗《かん》の世話に掛《かか》る。三、四十人の客にヤトナ三人で一通り酌《しゃく》をして廻るだけでも大変なのに、あとがえらかった。おきまりの会費で存分愉しむ肚の不粋な客を相手に、息のつく間もないほど弾《ひ》かされ歌わされ、浪花節《なにわぶし》の三味から声色《こわいろ》の合の手まで勤めてくたくたになっているところを、安来節《やすぎぶし》を踊《おど》らされた。それでも根が陽気好きだけに大して苦にもならず身をいれて勤めていると、客が、芸者よりましや。やはり悲しかった。本当の年を聞けば吃驚《びっくり》するほどの大年増の朋輩《ほうばい》が、おひらきの前に急に祝儀を当てこんで若い女めいた身振りをするのも、同じヤトナであってみれば、ひとごとではなかった。夜更けて赤電車で帰った。日本橋一丁目で降りて、野良犬《のらいぬ》や拾い屋(バタ屋)が芥箱《ごみばこ》をあさっているほかに人通りもなく、静まりかえった中にただ魚の生臭《なまぐさ》い臭気《しゅうき》が漂《ただよ》うている黒門市場の中を通り、路地へはいるとプンプン良い香《にお》いがした。
山椒昆布《さんしょこんぶ》を煮る香い
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