う折箱の職人で、二階の六畳はもっぱら折箱の置場にしてあったのを、月七円の前払いで借りたのだ。たちまち、暮《くら》しに困った。
柳吉に働きがないから、自然蝶子が稼《かせ》ぐ順序で、さて二度の勤めに出る気もないとすれば、結局稼ぐ道はヤトナ芸者と相場が決っていた。もと北の新地にやはり芸者をしていたおきんという年増《としま》芸者が、今は高津に一軒構えてヤトナの周旋屋《しゅうせんや》みたいなことをしていた。ヤトナというのはいわば臨時雇で宴会《えんかい》や婚礼《こんれい》に出張する有芸仲居のことで、芸者の花代よりは随分安上りだから、けちくさい宴会からの需要が多く、おきんは芸者上りのヤトナ数人と連絡《れんらく》をとり、派出させて仲介《ちゅうかい》の分をはねると相当な儲《もう》けになり、今では電話の一本も引いていた。一宴会、夕方から夜更《よふ》けまでで六円、うち分をひいてヤトナの儲けは三円五十銭だが、婚礼の時は式役代も取るから儲けは六円、祝儀もまぜると悪い収入《みい》りではないとおきんから聴いて、早速《さっそく》仲間にはいった。
三味線《しゃみせん》をいれた小型のトランク提げて電車で指定の場所へ行
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