った。向い側の果物屋は、店の半分が氷店になっているのが強味で氷かけ西瓜で客を呼んだから、自然、蝶子たちは、切身の厚さで対抗しなければならなかった。が、言われなくても種吉の切り方は、すこぶる気前がよかった。一個八十銭の西瓜で十銭の切身何個と胸算用《むなざんよう》して、柳吉がハラハラすると、種吉は「切身で釣《つ》って、丸口で儲けるんや。損して得とれや」と言った。そして「ああ、西瓜や、西瓜や、うまい西瓜の大安売りや!」と派手な呼び声を出した。向い側の呼び声もなかなか負けていなかった。蝶子も黙っていられず、「安い西瓜だっせ」と金切り声を出した。それが愛嬌で、客が来た。蝶子は、鞄《かばん》のような財布を首から吊《つ》るして、売り上げを入れたり、釣銭を出したりした。
 朝の間、蝶子は廓の中へはいって行き軒《のき》ごとに西瓜を売ってまわった。「うまい西瓜だっせ」と言う声が吃驚《びっくり》するほど綺麗《きれい》なのと、笑う顔が愛嬌があり、しかも気性が粋でさっぱりしているのとがたまらぬと、娼妓達がひいきにしてくれた。「明日《あした》も持って来とくなはれや」そんな時柳吉が背にのせて行くと、「姐《ねえ》ちゃんは……?」ええ奥さんを持ってはると褒められるのを、ひと事のように聴き流して、柳吉は渋《しぶ》い顔であった。むしろ、むっつりして、これで遊べば滅茶苦茶に羽目を外す男だとは見えなかった。
 割合熱心に習ったので、四、五日すると柳吉は西瓜を切る要領など覚えた。種吉はちょうど氏神の祭で例年通りお渡りの人足に雇われたのを機会《しお》に、手を引いた。帰りしな、林檎《りんご》はよくよくふきんで拭《ふ》いて艶《つや》を出すこと、水密桃《すいみつとう》には手を触れぬこと、果物は埃《ほこり》をきらうゆえ始終|掃塵《はたき》をかけることなど念押して行った。その通りに心掛けていたのだが、どういうものか足が早くて水密桃など瞬く間に腐敗《ふはい》した。店へ飾《かざ》っておけぬから、辛い気持で捨てた。毎日、捨てる分が多かった。といって品物を減らすと店が貧相になるので、そうも行かず、巧く捌《は》けないと焦《あせ》りが出た。儲も多いが損も勘定にいれねばならず、果物屋も容易な商売ではないと、だんだん分った。

 柳吉にそろそろ元気がなくなって来たので、蝶子はもう飽いたのかと心配した。がその心配より先に柳吉は病気になった。まえまえから胃腸が悪いと二ツ井戸の実費医院《じっぴ》へ通い通いしていたが、こんどは尿《にょう》に血がまじって小便するのにたっぷり二十分かかるなど、人にも言えなかった。前に怪《あや》しい病気に罹《かか》り、そのとき蝶子は「なんちう人やろ」と怒《おこ》りながらも、まじない[#「まじない」に傍点]に、屋根瓦《やねがわら》にへばりついている猫《ねこ》の糞《ふん》と明礬《みょうばん》を煎《せん》じてこっそり飲ませたところ効目《ききめ》があったので、こんどもそれだと思って、黙って味噌汁の中に入れると、柳吉は啜《すす》ってみて、変な顔をしたが、それと気付かず、味の妙なのは病気のせいだと思ったらしかった。気が付かねば、まじないは効くのだとひそかに現《げん》のあらわれるのを待っていたところ更《さら》に効目はなかった。小便の時、泣き声を立てるようになり、島の内の華陽堂《かようどう》病院が泌尿科《ひにょうか》専門なので、そこで診《み》てもらうと、尿道に管を入れて覗いたあげく、「膀胱《ぼうこう》が悪い」十日ばかり通ったが、はかばかしくならなかった。みるみる痩《や》せて行った。診立て違いということもあるからと、天王寺《てんのうじ》の市民病院で診てもらうと、果して違っていた。レントゲンをかけ腎臓結核《じんぞうけっかく》だときまると、華陽堂病院が恨《うら》めしいよりも、むしろなつかしかった。命が惜しければ入院しなさいと言われた。あわてて入院した。
 附添いのため、店を構っていられなかったので、蝶子はやむなく、店を閉めた。果物が腐って行くことが残念だったから、種吉に店の方を頼もうと思ったが、運の悪い時はどうにも仕様のないもので、母親のお辰が四、五日まえから寝付いていた。子宮癌《しきゅうがん》とのことだった。金光教《こんこうきょう》に凝《こ》って、お水をいただいたりしているうちに、衰弱《すいじゃく》がはげしくて、寝付いた時はもう助からぬ状態だと町医者は診た。手術をするにも、この体ではと医者は気の毒がったが、お辰の方から手術もいや、入院もいやと断った。金のこともあった。注射もはじめはきらったが、体が二つに割れるような苦痛が注射で消えてとろとろと気持よく眠り込んでしまえる味を覚えると、痛みよりも先に「注射や、注射や」夜中でも構わず泣き叫んで、種吉を起した。種吉は眠い目をこすって医者の所へ走った。「モル
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