です。作家としても尊敬に値する人たちです。しかし、この人たちの辿りついた道から出発して、第二の藤村、第二の秋声、第二の志賀直哉を作ることは、もはや今日無必要な努力であります。日本は敗戦しました。過去の日本は亡びました。すべては新しい近代に向って進もうとしております。しかし、日本の文章は少しも変っておりません。文壇の権威も昔のままです。文章の句読点の切り方すら変っておりません。これはおかしいことです。
正倉院の御物の公開があると、何十万という人間が猫も杓子も満員の汽車や電車に乗り、死に物ぐるいで、奈良に到着して、息も絶えだえになって、御物を拝見したということですが、まことにそれも結構なことでありますけれど、僕は死に物ぐるいの眼に会うことも猫になることも杓子になることも嫌いですから、ジャン・ポール・サルトルというフランスの新しい作家の小説を読んでおりました。「世界文学」という翻訳専門の雑誌の十月号にのった「水いらず」という小説でありまして、この小説は日本文壇にとっての新しい戦慄といっても過言ではないと僕はまァ思いました。日本の文学は結局生活の総決算の文学であり、人間を描いても、結局心境の
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