言隻句はまるで文学の神様のような権威を与えられて、大正昭和の文学を指導して来ました。が、果してこれらの大家たちの作品が最高のものでしょうか。例えば藤村先生の文学、徳田秋声先生の文学、志賀直哉さんの文学などは、日本的な小説伝統の限りでは、立派なものであり、最高のものでありましょうが、しかし、われわれ近代小説への道に苦労している若い作家にとって、これらの文学伝統は、いったいいかなるプラス的影響を与えてくれるでしょうか。僕はことさらに奇嬌な言を弄して、先輩大家の文学を否定しようとするつもりはありません。ただ僕のいいたいのは、これらの文学、つまり、末期の眼を最高の眼とする、いわゆる年輪的な心境の完成を目指した文学を、最高の文学的権威とする文壇の定説が、変な言い方ですが、いわば文壇進歩党の旗印みたいになって、古い日本のものの考え方や伝統や権威を疑ってみて、新しい近代を打ち樹てようとする今日もなお、多くの心酔者を得、模倣者や亜流を作ってはびこっていることが、果して幸福な現象か不幸な現象かということを、言いたいのです。この人たちの文学はそれぞれ出現当時は新しいものでした。立派なものでした。今日も立派
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