「絞附だとか」]一応もっともらしく立派に見えます。苦心惨澹して、手織りのみすぼらしい[#「みすぼらしい」は底本では「みすぼらいし」]貧弱な着物を着ているよりは、どうも昔の着物の方が立派にはちがいありません。だいいち天才が残してくれたものですからね。しかしいくら敗戦して焼け出されたとしても、せめて思想の借着だけはしたくないものです。自分で考えたことを、自分の言葉で語りたいものです。すくなくとも文学者というものは猫でも杓子でもないのですから、世間の常識とか定説、オイソドックス、最大公約数的な意見、公式、規格品、標準、権威――そういったものを、よしんばそれが世の風潮に乗っている思想であっても、自分の頭で自分が納得できるまで疑うべきであります。そういうものじゃないでしょうか。
 例えば、今日、古い日本は亡びて、天皇をはじめあらゆる過去の権威に対する挑戦――といいますか、つまり疑問の提出が活発に行われましたが、しかし、文学の上では権威への挑戦が殆んど忘れられています。明治以後いまだ百年もたっていないのに、多くの大家が文豪と称せられ、古典の仲間入りをして、文学の祭壇にまつりあげられ、この人たちの片
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