っていらっしゃるかも知れませんが、実は猫と杓子が日本をこんなことにしてしまったのです。猫と杓子が寄ってたかって、戦争だ、玉砕だ、そうだそうだ、賛成だ賛成だ、非国民だなどと、わいわい言っているうちに、日本は負け、そして亡びかけたのです。
 猫であり、杓子であるということは、つまり自分の頭でものを考えないということであります。これは日本人の持っている悪癖――つまり悪い癖でありまして、すぐ他人の頭でものを考えたがる。俗に「鰯の頭も信心から」といいますが、あんまり他人の頭ばかり借りてものを考えたり、喋ったり、書いたりしておりますと、しまいには鰯の頭まで借りるようになってしまいます。いや、僕は冗談に言っているのではない。真面目に言っているのです。
 他人の頭でものを考えるというのは、つまり他人の着物を借りてまるで自分の着物のような顔をするということで、いいかえれば思想の借着であります。人類はじまって以来、多くの天才は僕らが借りるべき多くの着物を残してくれました。僕らは借着にことを欠きません。それに、借着をすれば、手間がはぶけて損料を払うだけでモーニングだとか紋附だとか[#「紋附だとか」は底本では
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