た。

      二

「おっちゃん、煙草の火貸してんか」
 ドスンドスンと歩いていた木崎の前に、娘はバスガールのように足をひらいて、傲然と立ちはだかった。
 声も若かったが、木崎がライターの火をつけると、まだ大人になり切らない娘の顔が、ぱっと白く浮び上り、十七か八であろう。
 しかし、娘は三十芸者のように、器用に火をつけて、
「おっちゃん、どこまで行きはるのン……?」
 と、きいて、アパートへ帰るんだ――という返辞もまたず、煙をふきだしながら、ついて来た。
「まだ、何か用か……?」
「夜道は物騒やさかい、そこまで送って行ってくれたかテ、かめへんやろ」
「そこまでって、どこまでだ……?」
「おっちゃんは……?」
「清閑寺の方だ」
「うちもその辺や」
「嘘をつけ!」
 と言おうとしたが、木崎はだまって娘と肩を並べて円山公園を抜けると、高台寺の方へ折れて行った。
 三条大橋、四条大橋、円山公園に佇む女は殆んどいかがわしい女ばかりだ――と、噂にもきき、目撃もして来たから、すぐにそれと直感したが、しかし、ふと、そうとも決め切ってしまえない感じが、その娘のどこかにあったせいだろうか。
 若すぎるから……ではなかった。十七や八はざらだった。そして、そんな年頃の、いかがわしい女は、若さの持ついやらしさがベタベタとぬった白粉や口紅を、不潔に見せていたが、この娘の白粉気のない清潔な皮膚には、遠いノスタルジアがあった。
 紫の御所車のはいった白地の浴衣に、紫の兵児帯――不良少女じみて煙草を吸っていても、何か中学時代のハーモニカの音を想わせた。
 ――といって、興味は感じなかった。ただ、帰れといわぬだけ、――いや、何一つ口を利かずに、ついて来るのに任せて、やがて、高台寺の道を清水の参詣道へ折れ、くねくねと曲って登って行くと、音羽山が真近に迫り、清閑荘というアパートが、森の中にぽつりと建っていた。
 門燈の鈍い灯りのまわりに、しんとした寂けさが暈のように渦を巻いていて、にわかに夜の更けた感じだ。
 木崎は遠くから指して、
「あそこだ、おれのアパートは……」
 と、はじめて口を利いた。
「――君の家はどこだ。まさか、あの山の中でもないだろう。帰れ!」
「そんなン殺生や。こんなとこから……」
「怖くて帰れんのか。ついて来るのがわるいんだ。幽霊は出んから、走って帰れ!」
「おっちゃん、アパートでひとり……?」
 うんと、不興気にうなずくと、娘はいきなり、
「ほな、うちも泊めて。――いや……?」
 と、木崎の顔を覗き込んだ。汗くさい髪の毛がにおいと一緒に、木崎の鼻にふれた。

      三

「いやだ!」
「そんなこと言わんと、泊めて!」
「…………」
「うち、帰るとこあれへんねン」
「どうしてだ……?」
「うち、家出してん」
「ふーん、なぜそんな莫迦なことをしたんだ」
「…………」
「帰るところはなくっても、泊るところはあるだろう。宿屋で泊ればいい」
「うち、泊るお金あれへん」
 そこは藪の中で、蚊が多く、立ち話しているうちに、木崎は神経がいらいらして来たので、いきなり十円札を三枚つかみ出すと、
「じゃ、これをやるから宿屋で泊れ!」
 娘の手に渡して、やっぱりただの夜の花だったのか――と、且つはがっかりし、且つはサバサバして、あとも見ずに清閑荘の玄関へはいって行った。
 二階の階段を上って掛りの六畳が、木崎の部屋だった。六畳の中二畳ばかり、黒いカーテンで仕切ってこしらえた現像用の暗室へ、カメラを置いて、蚊やり線香に火をつけていると、ドアを敲く音がした。あけると、さっきの娘がしょんぼりと、しかし顔だけはニイッと笑って、立っていた。
「帰らんのか」
「うん」
 ペロリと舌を出した――のを見ると、木崎は思わず噴き出しそうになって、もう追いかえせなかった。娘はいそいそとはいると、
「木崎さん、ええ写真機持ったはンねンなア」
 部屋の外に掛った木崎の名札をもう見ていたらしい。それには答えず、
「君は大阪だろう」
 木崎も大阪人だけに、娘の言葉のなまりがなつかしかった。
「うん。焼けてん」
 娘は暗室のカーテンへ素早い視線を送っていた。
「お父さんは……?」
「監獄……。未決に……」
 はいっているのだと、ケロリとした顔で言ったが、ふと声を弾ませると、
「――未決にはいっていると、金が要るねン。差入れせんならんし、看守にもつかまさんならンし、……それに、弁護士は金持って行かなんだら、もの言うてくれへん」
 そんな心配を、この娘がしているのかと、驚いて、母親はあるのかときくと、いきなり、
「お母ちゃん、きらいや」
 と、その言葉のはげしさはなお意外で、ピリピリと動く痩せた眉のあたりを見ていると、
「――あんな妾根性の女きらいや。男ばっかし……」
 こしらえているよう
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