だった。が、木崎はそれ以上きく興味もなく、
「もう寝ろ!」
と、押入れから蒲団を引き出した。
娘は急に固い表情になって、木崎の動作を見つめていた。
四
その固い表情に、木崎はふと女を感じながら、夜具を敷こうとすると、娘ははっとしたように飛び上って、部屋の隅へ後ろ向きに立った。
六畳のうち、二畳は暗室に使っているので、狭い。だから、夜具を敷く邪魔にならぬように起ち上って隅の方へ寄った――という風に考える方が自然だろうが、やはり飛び上ったと感じたのは、木崎の思いすごしだろうか。
「家出してから、どのくらいになるんだ」
木崎はふときいてみた。
「十日!」
背中で答えた娘の、腰のふくらみへ、木崎はふと眼をやって、あわてて外らした。
浴衣に兵児帯という姿に、淡いノスタルジアを抱いたとはいうものの、胴をきゅっと細く緊めているせいか、一層まるみを帯びて見えた娘の腰に、木崎はその娘の十日間のくらしを想った。暗がりで借りる煙草の火。しかし、それは木崎の好色の眼ではなかった。むしろ、痛々しさと反撥を感じていたのだ。
外科手術台の女の姿態を連想したのだ。寝床、外科手術、若い女の裸身。痛々しさの感覚!
好んで外科手術を受ける女はなかろう。が、それを受けるのが病人の、いや女の悲しい運命だ。手術台に横たわった女のあきらめ! 強いられた自己放棄! 失神状態! 手術者へすがりつく本能、不安! そして、憎悪と恨み……。自虐の快感!
目出たいと騒ぐ初夜の儀式は、メスの祭典だ。唯の祭典ではない。手術のメス! 女の生理の宿命的な哀れさは、木崎にはつねに痛々しかった。それというのも、亡妻の八重子への嫉妬が、女の生理に対する木崎の考え方を変えてしまったからではなかろうか。
八重子は木崎と結婚する前に、二三の男と関係があった。が、それは八重子が進んで求めたのだとは考えられず、ダンサーという職業の周囲に張りめぐらされたワナに、弱気な八重子がひっ掛って、のっぴきならなくなったのだ――という風に木崎は思いたかったのだ。
八重子はその頃十八か九だったという。相手の男は市井無頼の不良の徒であった。十八か九の何も知らぬ小娘と不良少年、何という残酷さだ!
木崎が外科手術を連想したのも、一つにはその男たちへの得体の知れぬ憎悪からであったろう。しかも、八重子が逃れようと思いながら、いつかその男たちの体の魅力にひきずられて行ったと考えると、女の生理の脆さに対する木崎のあわれみは、殆んどいきどおりに近いまでに高まったのだ。
あわれみと反撥――その振幅の間には中間はなかった。いわば木崎は誇張的にしか女の肉体が考えられなかったのだ。しかし、嫉妬とはつねに誇張に歪んだ情熱だ。
木崎がその小娘に感じたもの、やはりそれだった。ここに女の肉体がある! 木崎はいじらしいばかりに痩せた娘の肩と、ふっくりした腰を交互に見ているうちに、いらいらして来て、いきなり声を掛けた。
「おい!」
五
「何……?」
と、振り向いたが、木崎はとっさに言葉が出なかった。
何のために声をかけたのか、まるで自分にも判らず、やっと、
「君は何という名だ……?」
と、きいた木崎の声はなぜか乾いていた。
「うち、チマ子や。うふふ……。けったいな名やろ……?」
クスクスと無邪気に笑っていたが、ふと敷かれた夜具を見ると、
「――お蒲団一つしかないの……?」
「枕も一つだ。大阪で罹災したから、これだけだ」
「うち、眠とうなった。ここへ横になったかテかめへん……?」
兵児帯のまま腹ばいになって、夜具の裾の方に投げ出してあったハンドバッグを、素足の先につまんで、ひょいと肩越しに枕元へほうり上げ、その中から煙草を取り出すと、
「火貸してちょう……。あ、これで点けるわ」
蚊やり線香の火で、はすっぱに吸いはじめたが、いきなり仰のけになると、じっと天井を見つめていた。
眼がピカピカ光っていた。そして、暫く化石したように動かなかった。が、全身で木崎を意識しているようだった。眼かくしをされ、麻酔薬をかがされても、メス皿にカチリと触れる音はかすかに聴いている患者のように。
「何を考えてるんだ。――灰が……」
落ちるよと、木崎はつとにじり寄りながら、自分の血管の中で凶暴な男の血が脈を打っていることを、はじめて意識した。
あわれんでいるものを、逆に残酷に苛めたいという得体の知れぬ衝動だろうか、それとも、反撥し、嫌悪しているものに逆に惹かれるという自虐作用であろうか。
人は崇高な気持で愛しているものにも、ふと昆虫のような本能で挑むことがある。まして、チマ子はきのうきょう巷の夜にうごめいているいかがわしい女の、あわれさと醜さを見せているのだ。
あわれさとは手術台に横たわる宿命的な受動性!
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