田村で寝起きしているのだ。田村のママの居候だからね――と言おうとしたが、さすがにそれは言いだしかねて、
「――それより、田村の帰り、お通夜には来ない方がいいぜ。仏がよごれるからな」
「それ、どういう……?」
 意味かも考えても、すぐにはぴったり来ないほど、陽子は何も知らぬ娘だったが、
「――あ、あんた、あたしが誘惑されると思ってるのね。失礼だわ。まさか……」
 と、これは半分自分に言いきかせて、二階の脱衣室へ上って行った。そして、イヴニングを腰まで落して、素早くシュミーズに手を通していると、ラストの曲も終ったのか、ガヤガヤとダンサーがよって来た。
 土曜日は、ダンサーの足も火のようにほてる。それほど疲れるのだが、しかし、大声で話ができるのはこの部屋だけだ。ことに今夜は茉莉の事件もある。シュミーズを頭にかぶったまま、喋っているダンサーもいた。
 しかし、陽子はいつものように黙っていた。澄ましてるよと、言われてから、一層仲間入りをしなくなっていた。
 黙々とコバルト色の無地のワンピースを着て、衿のボタン代りに丸紐をボウ(蝶結び)に結んでいると、上海帰りのルミが、
「殺生やわ、ほんまに……」と、遅れて上って来て、ペラペラひとり喋った。
「――今夜はパトロン、あしたは二時まで寝たる積りやのに、マネージャーの使いか。茉莉が倒れたとこ写した男いたんやテなア。朝のうちにその写真貰って来い、発表されたら困る、ルミの心臓で行って来てくれ。ダンサーを使うのん屁とも思てへん。マネージャーの方がよっぽど心臓や」
 陽子は何思ったのか、ルミの傍へ寄って行って、
「あたし、代りにあした行ってあげてもいいわよ」
 と、ルミがマネージャーの机から貰って来た木崎の名刺を、覗きこんだ。


    夜光時計

      一

 三条河原町の元京宝劇場は、占領軍専用の映画が掛り土曜日の夜はジープとトラックが並んだ。
 木崎が十番館を出て河原町通りまで来た時は、丁度その劇場のハネで、夜空に点滅する――
「KYOTO THEATRE」
 のピンクの電飾文字のまわりを囲って、ぐるぐる廻る橙色の点滅燈のテンポが、にわかにいきいきとして、劇場から溢れでる米兵の足も速かったが、木崎の足はソワソワと速かった。
 昂奮していたのだ。なぜだろう……。
 レンズが肉体に化した木崎の写真は、印画紙からニヒリズムの体臭が漂うくらい、個性が強く、彼のねらう構図にはつねに夜が感じられて、ふとデカダンめいたが、今夜の陽子と茉莉の写真も「夜のポーズ」という彼の好みのテエマにふさわしかった。
 しかし、美しい陽子をわざと最も醜いポーズで撮り、茉莉の倒れた姿に醜悪なポーズを見出したのは、単なる好みだけだろうか。ほかの場所では、それほどまでにしなかった筈だ。
 つまりは、彼のホールぎらいのせいだ。それというのも、亡妻がダンサーだったからである。
 亡妻の名は八重子といった。
 学生の頃の木崎が八重子と知り合った時は、しかし八重子はもうダンサーではなく、阪神間のあるホテルの受付で働いていた。
 四年の長い恋愛ののち結婚した木崎はダンスは出来ず、彼女もダンスレコードは集めたが、踊りたがらなかった。二年たって、八重子は軽い肺炎に罹り、南紀の白浜温泉に出養生した。ある日、彼が見舞いに行くと、八重子は旅館のホールで見知らぬ男と踊っていた。クンパルシータだった。咳をしながら、しかしうっとりと踊っていた。
 はじめて妻のダンスを、しかも、自分以外の男に抱かれて踊っている姿を見た途端、木崎はダンサー時代の妻が、毎夜抱かれて踊った男の数を考えて茫然とした。結婚前に既にホールの客と二三の関係があった、という打ち明け話も、にわかに思い出されて、なまなましい嫉妬が、今更のように感覚的に甦った。
 木崎はもはや、妻の過去に寛大な夫ではなくなり、嫉妬に背を焼かれてデカダンスに陥った。
 そして、この嫉妬の火は、一昨年八重子が死んでしまっても、消えてしまわず、十番館へ来てはじめて陽子を見た途端、再び燃え上った。
 陽子は、死んだ八重子に似ていたのだ。だから、陽子を撮ろうときめて、陽子の美しさを追うたのだが、旅館のホールで八重子の姿態を醜いとしか見られなかった木崎の、嫉妬の眼は、陽子の美しさに反撥して、どんなポーズも男にひきずられる女の本能の、あわれな醜さに見え、空しく三日通ったあげく、
「よしッ! こうなったら、もうあの女の一番いやらしいポーズを、撮ってやれ!」
 そんな自虐の快感に燃えて、シャッターを切った途端、茉莉が……。
 倒れたその姿に投げたのは、ホールへの諷刺だ。歪んだ昂奮に青ざめて、やがて木崎は四条通りを円山公園の方へ、歩いて行った。
 そして、祇園の石段を登って行くと、暗闇の中から、いきなり若い娘が飛び出して来
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