れただけで、鳩になった。
 ブラックガールの嫌疑で検挙されたのだから、ひとにも言えぬ恥かしい取調べを受けたのだが、処女と判ればもう疑いの余地はなかったのだ。
 恥かしい想いをしたことで、陽子は泣けもしない気持だった。それに、なお困ったことには、靴がなかった。木文字章三に見つけられた以上、むろん田村へは取りに行けなかった。アパートへ電話して警察まで靴を持って来て貰うことも一応考えたが、事情を説明するのがいやだった。ありていに事情を打ち明ければ、かえってあらぬ疑いを掛けられるようなものだから、十番館の朋輩にも頼めない。
 こんな時、頼りになる茉莉は死んでしまっている。結局、頼めるのは京吉ひとりだった。京吉だったら、田村へ行ったことは知っているし、気軽にひきうけてくれそうだし、それに、靴を頼むことでかえって昨夜の清潔さの証明にもなるわけだと、警察の電話を借りてセントルイスへ電話してみた。
 いなかった。もう一度掛けるから、もし京吉が来たら待って貰っていてくれと頼んで置いて、十分ばかしして、また掛けてみると、
「京ちゃん、たった今帰りましてよ。ことづけ……? しましたわ。でも、電話が掛って来たら、もう京都にいないとそう言って置いてくれって、女の子と出て行きましたわ。おほほ……」
 けたたましい笑い声は、セントルイスのマダムの夏子の癖であったが、陽子はそんなことは知らずあざ笑われたように思った。
 電話が掛かることを承知していながら、わざと「女の子」と出てしまうなんて、ばかにされたような気がした。
「いいわ」
 もう京ちゃんなんかと二度と口をきくものか、靴なんかどうでもいい、はだしで歩く――と、陽子は真青になって警察を飛び出しかけたが、しかし、まさかはだしで歩けない。警察の小使が草履を貸してくれたので、それをはいて、出ると、その足ですぐ木崎を訪ねることにした。
 茉莉のアパートへも寄らなかったのは、チマ子に頼まれた用事を少しでも早く果さねばと思ったからであった。もっとも、木崎には陽子自身も会わねばならぬ用事があった。
 ところが円山公園まで来ると、占領軍の家族から写真を撮らせてくれと言われた。
「あたしは昨夜から写真ばっかり撮られている」
 悲しい偶然だと呟きながら、改めて草履ばきのみじめさに赧くなって、
「ノーノー。アイム・ソリイー。エキュスキューズ・ミイ」
 ブロークンの英語を使って断ろうとしたが、結局写された。が、その代り、彼等はお礼の意味で、ジープで送ってやろうと言ってくれた。
 陽子は草履ばきで歩くみじめさからやっと救われた想いで、ジープに乗った。そして、そんな一寸した騒ぎのおかげで、到頭交番所の中にいる京吉には気がつかなかった。
 しかし、気がついても声を掛けたかどうか。――ジープはやがて清閑荘の前に着いた。

      二

 自動車を降りようとした時、陽子は、
「あなた、ダンス出来る……?」
 ときかれて、うなずくと、
「じゃ、こんどの日曜日、パーティに来ません……?」
 自動車のマダムたちは、陽子が気に入ったらしかった。ブロークンの英語が喋れるという点も彼女らには珍らしかったのであろう。
「ありがとう。もし行けましたら……」
 辞退のつもりで陽子は言ったのだ、が彼女らには、承諾の意味に聴えたらしく、ここへアドレスを書けと、手帳を出された。
「ノー・サンキュウ!」
 と、はっきり断るには、陽子は余りに日本人であった。とにかく、アパートの所を書いて渡すと、
「こんどの日曜日、夕方の五時に、このアドレスの所へ、自動車で迎えに行きます。よくって……?」
「ありがとう」
 わざわざ送っていただいて――と、陽子が車を降りながら言ったその言葉は、パーティーへ招待されたことへの感謝の「ありがとう」にもとれて、それで約束出来たのも同然だった。
 そよ風の吹く松林の道を、自動車は風のように下って行った。
 赤いネッカチーフを巻いた頭がふり向いて、秋の日射しの中に振られている血色のよい手が見えなくなるまで、陽子も手を振っていたが、おずおずとした振り方しか陽子は出来なかった。ちょうど陽子の立っている所は、清閑荘の建物に太陽の光線がさえぎられて、日かげになっていたが、陽子の心もふと翳っていた。
 陽子は十番館へはいる時、姓はかくしたが、名前は本名をそのまま使ったくらい、自分の持っているものの中で、陽子という名が一番好きだった。明るく陽気に、太陽の光の下で生きるという人間本然の憧れを、自分の名は象徴しているのだと、思っていた。が、今、自動車に乗っているアメリカの女性たちの屈託のない明るさを見ると、明るいとか陽気にとか、太陽の光の下で――などという形容詞が、うかつに使えぬような気がして、ふと思えば、自分もまた、この陰欝な清閑荘の建物にふさわしい人
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