六十八歳である。さうまで人気を顧慮しなくてもと思はれる。なにか老化粧の痛ましさが見えるのである。
大衆は勿論|喝采《かつさい》した。が、いよいよ負けたと判ると、なんだいといふ顔をした。
「あんな莫迦《ばか》な手を指す奴があるか。」と薄情な唇で囁いた。専門の棋士の中にもさういふことをいふ者があつた。
対局の終つたのは、七日目の紀元節であつた。前日からの南禅寺の杉木立に雨の煙つてゐる朝の九時五分にはじめて、午に一旦休憩し、無口な昼食のあと午後一時から再開して、一時七分にはもう坂田は駒を投げた。雨はやんでゐなかつた。
対局者は打ち揃つて南禅寺の本堂に詣り、それから宝物を拝観した。坂田は、
「おほきに御苦労はんでござります。」と、びつくりするほど丁寧なお辞儀をして歩いた。五十五年間、勝負師として生きて来た鋭さがどこにあらうかと思はれるくらゐの丁寧なお辞儀であつた。
書院で法務部長から茶菓を饗された時も、頭を畳につけて、
「おほけに御馳走《ごつと》はんでした。」と言つた。特徴のある太短かい首が急にげつそりと肉を落して、七日間の労苦がもぎとつて行つたやうだつた。
迎への自動車に乗らうとす
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