のではなからうか。さうして、その現はれが、攻め勝たうとする速度を急ぐ近代将棋に反抗する九四歩だつたのではなからうか。つまりは、九四歩は我を去らうとする手であつたのではなからうか。けれど、一面これくらゐ坂田の我を示す手はないのだ。坂田は依然として坂田であた。彼は九四歩の手損を無論知つてゐたに違ひない。が、平手将棋は先後いづれも駒が互角だから、最初の一手をどう指さうと、隙のないやうには組めるものだ、最初の一手ぐらゐで躓《つまづ》くやうな坂田の将棋ではない、無理な手を指しても融通無碍《ゆうづうむげ》に軽くさばくのが坂田将棋の本領だといふ自信の方が強かつたのだ。この自信があつたから、彼は十六年振りに立つたのである。さうして、彼は生涯の最も大事な将棋に最も乱暴な手を指したのである。
これはもう魔がさしたといふやうなものではなかつたのだ。坂田といふ人にとつては、もうこれほど自然な手はなかつたのである。自分の芸境を一途《いちづ》に貫いたまでの話である。なんの不思議もない。けれど、その時彼がかつて大衆の人気を博したいはゆる坂田将棋の亡霊に憑《つ》かれてゐたことは確かであらう。おまけに、なんといつても
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