つた――といふ程度である。それ故古今の棋譜を読んでそれに学ぶといふことが出来ない。おまけに師匠といふものがなかつたので、自分ひとりの頭を絞つた将棋を考へだすより仕様がなかつたのだ。自然、自分の才能、個性だけを頼りにし、その独自の道を一筋に貫いて、船の舳《へさき》をもつてぐるりとひつくり返すやうな我流の将棋をつくるやうになつた。無学、無師匠の上に、個性が強すぎたのだ。ひとつには、泉州の人らしい茶目気もあつたらう。が、それ故に、坂田将棋は一時|覇《は》を唱へ、また人気も出た。自信も湧いて来た。角頭の歩を突いたり、名人を自称したり、いはば横紙を破る強気も生じたのだ。が、この強気の故に彼は永い間沈黙を守らねばならぬ破目になつた。さうして、三年間といふもの、彼は人にも会はず外出もせず駒を手にせず、ひたすら自分の心を見つめて来た。何を考へ、何を発見したか、無論私には判らない。が、しかし「その時の坐蒲団がいまだにへつこんでゐます。」といふくらゐの沈思黙考の間に、彼が栓ぬき瓢箪の将棋観をいよいよ深めたであらうことは、私にも想像される。我の強気を去らなくては良い将棋は指せないといふ持論をますます強くした
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