したとも考へられる。「敵に指させて勝つ」といふ理論を、彼一流の流儀で応用したのだと言へないこともない。
けれど、結果はやはり二手損が災《わざは》ひして、坂田は木村に圧倒的に攻められて、攻撃に出る隙もなく完敗してしまつたのだ。攻撃の速度を重要視してゐる近代将棋に、二手損をもつて向つたのは、さすがに無謀だつたのだ。無理論の坂田将棋は無理論に頼り過ぎて、近代将棋の理論の前に敗れてしまつたのである。
木村は「奇異な感に打たれた」といふ感想に続いて、
「――が、それと同時に、九四歩を見てからの私は、自分でも不思議な位に、グッと気持が落着いて、五六歩と突く時は相当な自信を得てゐた。そして五五歩の位勝からは、これが攻撃的に必ず威力を発揮し得るもの、と確信づけられた。」と言つてゐる。
五六歩は七六歩、九四歩に次ぐ第三手目である。五五歩は五手目。つまりは木村は三手指した時に、はや勝つたと確信したのである。いや、九四歩を見た途端に、さう思つたのであらう。
さうしてみれば、坂田は九四歩を突いた途端に、もう負けてゐたのである。一手六時間といふ長考を要するやうな苦しい将棋をつくりあげた原因は、この九四歩
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