歩と同じく端の歩を突いて受けるか。それとも一六歩と別の端の歩を突くだらうかなどと、しきりに想像をめぐらし、翌日の新聞を待ち焦れた。六十八歳の老齢で、九四歩などといふ天馬の如き溌剌《はつらつ》とした若々しい奇手を生み出す坂田の青春に、私はぴしやりと鞭打たれたやうな気がし、坂田のこの態度を自分の未来に擬したく思ひながら、その新聞を見ることが、日日|愉《たのし》みとなつたのである。けれど、私にとつては何日間かの幸福であつたこの手は、坂田にとつて幸福な手であらうか。
素人考へでいへば、局面にもあるだらうが、まづ端の歩を突く時は相手に手抜きをされる惧《おそ》れがある。いはば、手損になり易いのだ。してみれば、後手の坂田は中盤なら知らず、まづはじめに九四歩と端を突いたことによつて、そして案の定相手の木村に手抜きをされたことによつて二手損をしてゐるわけである。けれど、存外これが坂田の思ひであつたのかも知れない。はじめにぼんやり力を抜いて置いて、敵に無理攻めさせて、その隙に反撃を加へるといふ覘《ねら》ひであつたかも知れない。最初の一手で、はや自分の将棋を栓ぬき瓢箪のやうなぼんやりしたものにして置かうと
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