こだはつた時は、丁度、眼前の勝負にかんかんになり過ぎて、気持が焦りに浮き立つてゐた。そこに気がついて、これではいけないと、火鉢を要求したのではなからうか。
けれど、こんな臆測はすべて私の思ひ過しだらう。観戦記録を見ると、対局開始の二月五日といふ日は、下見をした前日と打つてかはつて、京にめづらしいポカポカと暖かい日であつたといふ。それを読んで、私は簡単にすかされてしまつた。その人の弱みにつけこんで言へば、暖かいから火鉢を敬遠したまでのこと、それを「火鉢にあたるやうな……」云々と悲壮めかすのは芝居が過ぎる。あるひは、坂田自身が自分の気持に欺かれてゐたのだらうか。けれども私はかういふところに、かへつて坂田の好ましさを感ずる。寒くなつたら、あわてて前に言つた詞を取り消して火鉢をほしがつたのだらうと断定を下し、しかも私はそこにこの人の正直さをぢかに感じようと思ふのである。
それはともかく、坂田が火鉢を要求した時には、はや栓ぬき瓢箪の気持を想ひ出す必要が来てゐたことは、事実である。その時にはつまり対局開始後三日目にはもう坂田の旗色は随分わるかつたのだ。対局が済んでから令嬢は観戦記者に、
「父は
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