、脱衣場の戸ががらりとあいた。
「あ、来よりました」
 男はそう私の耳に囁いて、あと、一言も口を利かなかった。
 部屋に戻って、案外あの夫婦者はお互い熱心に愛し合っているのではないか、などと考えていると、湯殿から帰って来た二人は口論をやり出した。
 襖越しにきくと、どうやら私と女が並んで歩いたことを問題にしているらしく、そんなことで夫婦喧嘩されるのは、随分迷惑な話だと、うんざりした。
 夕飯が済んだあと、男はひとりで何処かへ出掛けて行ったらしかった。私は療養書の注意を守って、食後の安静に、畳の上に寝そべっていた。
 虫の声がきこえて来た。背中までしみ透るように澄んだ声だった。
 すっと、衣ずれの音がして、襖がひらいた。熱っぽい体臭を感じて、私はびっくりして飛び上った。隣室の女がはいって来たのだった。
「お邪魔やありません?」
 襖の傍に突ったったまま、言った。
「はあ、いいえ」
 私はきょとんとして坐っていた。
 女はいきなり私の前へぺったりと坐った。膝を突かれたように思った。この女は近視だろうか、それとも、距離の感覚がまるでないのだろうかと、なんとなく迷惑していると、
「いま、ちょっ
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