円でも譲らないと言ったあの時計だ。
「これはいくらだ?」
 買う気もなくきくと、
「二円五十銭にしときましょう」
「たったの……?」
 私は立ったまま尻餅ついていた。
 早速買った。いそいそとして買ったのである。そして、その時計を小包にして武田さんに送るという思いつきにソワソワしながら、おそくまで夜店をぶらついていた。私は二円五十銭で買ったが、武田さんのことだから二円ぐらいで神田の夜店あたりで買ったのではないかと思うとキャッキャッとうれしかった。五円札を二つに千切って運転手に渡したという話も、もしかしたら武田さんの飛ばそうとしているデマではないかと思うと、一層ゆかいだった。
 帰ってまず手紙を書こうと思った。男同志の恋文――言葉はおかしいが、手紙の中で一番たのしいのは、これだ。だから書いていると、つい長くなる。あまり長くなりそうだから、手紙はよして、小包だけにすることにしたがしかし、時計を送る小包というのはどうも作り方がむずかしい。それに、ふと手離すのが惜しくなって、――というのは、私もまた武田さんの驥尾《きび》に附してその時計を机の上にのせて置きたくて、到頭送らずじまいになってしまっ
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