頓狂な声を出して、その時計を胸に抱くようにした。
「――どうもお眼も早いが、手も早い。千円でも譲らんよ。エヘヘ……」
胸に当てて離さなかった。浴衣の襟がはだけていて、乳房が見えた。いや、たしかに乳房といってもいいくらい、武田さんの胸は肉が盛り上っていた。
そこへ、都新聞の記者が来て、
「満州へ行かれるんですか。旅行日記はぜひ頼みますよ」
「うえへッ!」
武田さんは飛び上った。
「まず、満州へ行く感想といった題で一文いただけませんか」
「誰が満州へ行くんだい?」
「あなたが――。今日のうちの消息欄に出てましたよ」
「どれどれ……」
と、記者の出した新聞を見て、
「――なるほど、出てるね。エヘヘ……。君、こりゃデマだよ」
「えッ? デマですか。誰が飛ばしたんです」
「俺だよ、俺がこの部屋で飛ばしてやったんだよ。この部屋はデマのオンドコだからね。エヘヘ……」
「オンドコ……?」
「温床だよ」
そう言ってキャッキャッと笑っていた。間もなく私は武田さんの書斎を辞した。
そして、四五日たったある夜、私は大阪の難波の近くの夜店で、武田さんの机の上にあった時計とそっくりの時計を見つけた。千
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