五円で行け!」
「十円やって下さいよ」
「五円だと言ったら、五円だ!」
「じゃ、八円にしときましょう」
「五円!」
「じゃ、七円!」
「行けと言ったら行け! 五円だ!」
「五円じゃ行けませんよ!」
「何ッ? 行かん? なぜ行かん?」
「行かんと言ったら行かん!」
「行けと言ったら行け!」
 そんな問答をくりかえしたあげく、掴み合いの喧嘩になった。運転手は車の修繕道具で彼の頭を撲った。割れて血が出た。彼は卒倒した。
 運転手は驚いて、彼の重いからだを車の中へかかえ入れた。
 そして天下茶屋のアパートの前へ車をつけると、シートの上へ倒れていた彼はむっくり起き上って、袂の中から五円紙幣を掴み出すと、それをピリッと二つに千切って、その半分を運転手に渡した。そして、何ごともなかったように、アパートの中へはいって行った。

     二

 この話を、私は武田さん自身の口からきいた。むろん武田さんの体験談である。武田さんが新進作家時代、大阪を放浪していた頃の話だという。
 昭和十五年の五月、私が麹町の武田さんの家をはじめて訪問した時、二階の八畳の部屋の片隅に蒲団を引きっぱなして、枕の上に大きな顎を
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