たら、荒神口という駅はないが、それならきっと清荒神だろうと言って下すったので、乗って来たんですけど……」
ほかに荒神口という駅があるのでしょうかと、また念を押すのだった。
「さア、ないと思いますがね」
と新吉が言っているところへ、大阪行きの電車がはいって来た。
「――ここで待っておられても、恐らく無駄でしょうから……」
この電車で帰ってはどうかと、新吉はすすめたが、女は心が決らぬらしくもじもじしていた。
結局乗ったのは、新吉だけだった。動き出した電車の窓から見ると女は新吉が腰を掛けていた場所に坐って、きょとんとした眼を前方へ向けていた。夜が次第に更けて来るというのに、会える当てもなさそうな夫をそうやっていつまでも待っている積りだろうか。諦めて帰る気にもなれないのは、よほど会わねばならぬ用事があるのだろうか。それとも、来いと言う夫の命令に素直に従っているのだろうか。
電車の中では新吉の向い側に乗っていた二人の男が大声で話していた。
「旧券の時に、市電の回数券を一万冊買うた奴がいるらしい」
「へえ、巧いことを考えよったなア。一冊五円だから、五万円か。今、ちびちび売って行けば、結局
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