乳首を見たが黒くもない。何もせぬのに夜通し痛がっていたので、乳腺炎《にゅうせんえん》になったのかと大学病院へ行き、歯形が紫色《むらさきいろ》ににじんでいる胸をさすがに恥《はずか》しそうにひろげて診《み》てもらうと、乳癌《にゅうがん》だった。未産婦で乳癌になるひとは珍《めず》らしいと、医者も不思議がっていた。入院して乳房《ちぶさ》を切り取ってもらった。退院まで四十日も掛り、その後もレントゲンとラジウムを掛けに通ったので、教師をしていた間けちけちと蓄《た》めていた貯金もすっかり心細くなってしまい、寺田は大学時代の旧師に泣きついて、史学雑誌の編輯《へんしゅう》の仕事を世話してもらった。ところが、一代は退院後二月ばかりたつとこんどは下腹の激痛《げきつう》を訴《うった》え出した。寺田は夜通し撫《な》ぜてやったが、痛みは消えず、しまいには油汗《あぶらあせ》をタラタラ流して、痛い痛いと転げ廻った。再発した癌が子宮へ廻っていたのだ。しかし医者は入院する必要はないと言う。ラジウムを掛けに通うだけでいいが、しかし通うのが苦痛で堪《た》え切れないのなら、無理に通わなくてもいいという。その言葉の裏は、死の宣告
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