だった。癌の再発は治らぬものとされているのだ。余り打たぬようにと、医者は寺田の手に鎮痛剤《ちんつうざい》のロンパンを渡《わた》した。モルヒネが少量はいっているらしかった。死ぬときまった人間ならもうモルヒネ中毒の惧れもないはずだのに、あまり打たぬようにと注意するところを見れば、万に一つ治る奇蹟《きせき》があるのだろうかと、寺田は希望を捨てず、日頃《ひごろ》けちくさい男だのに新聞広告で見た高価な短波|治療機《ちりょうき》を取り寄せたり、枇杷《びわ》の葉療法の機械を神戸《こうべ》まで買いに行ったりした。人から聴けば臍《へそ》の緒《お》も煎《せん》じ、牛蒡《ごぼう》の種もいいと聴いて摺鉢《すりばち》でゴシゴシとつぶした。
 しかし一代は衰弱する一方で、水の引くようにみるみる痩《や》せて行き、癌特有の堪え切れぬ悪臭《あくしゅう》はふと死のにおいであった。寺田はもはや恥も外聞も忘れて、腫物《はれもの》一切《いっさい》にご利益《りやく》があると近所の人に聴いた生駒《いこま》の石切まで一代の腰巻《こしまき》を持って行き、特等の祈祷《きとう》をしてもらった足で、南無《なむ》石切大明神様、なにとぞご利益を
前へ 次へ
全29ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング