ホテルで嗅《か》いだ男のポマードの匂《にお》いよりも、野暮天で糞真面目《くそまじめ》ゆえ「お寺さん」で通っている醜男《ぶおとこ》の寺田に作ってやる味噌汁《みそしる》の匂いの方が、貧しかった実家の破れ障子をふと想《おも》い出させるような沁々《しみじみ》した幼心のなつかしさだと、一代も一皮|剥《は》げば古い女だった。風采は上らぬといえ帝大《ていだい》出だし笑えば白い歯ならびが清潔だと、そんなことも勘定に入れた。
ところが寺田の両親が反対した。「お寺さん」という綽名《あだな》はそれと知らずにつけられたのだが、実は寺田の生家は代々|堀川《ほりかわ》の仏具屋で、寺田の嫁《よめ》も商売柄《しょうばいがら》僧侶《そうりょ》の娘《むすめ》を貰《もら》うつもりだったのだ。反対された寺田は実家を飛び出すと、銀閣寺|附近《ふきん》の西田町に家を借りて一代と世帯《しょたい》を持った。寺田にしては随分《ずいぶん》思い切った大胆《だいたん》さで、それだけ一代にのぼせていたわけだったが、しかし勘当《かんどう》になった上にそのことが勤め先のA中に知れて免職《めんしょく》になると、やはり寺田は蒼くなった。交潤社の客で
前へ
次へ
全29ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング