て、驚《おどろ》かぬ者はなかった。もっとも一代の方では寺田の野暮《やぼ》な生真面目《きまじめ》さを見込んだのかも知れない。もともと酒場遊びなぞする男ではなかったのだが、ある夜|同僚《どうりょう》に無理矢理|誘《さそ》われて行き、割前勘定になるかも知れないとひやひやしながら、おずおずと黒ビールを飲んでいる寺田の横に坐った時、一代は気が詰りそうになった。ところが、翌《あく》る日から寺田は毎夜一代を目当てに通って来た。置いて行く祝儀《チップ》もすくなく、一代は相手にしなかったが、十日目の夜だしぬけに結婚《けっこん》してくれと言う。隣《となり》のボックスにいる撮影所の助監督《じょかんとく》に秋波を送りながら、いい加減に聴き流していたが、それから一週間毎夜同じ言葉をくりかえされているうちに、ふと寺田の一途さに心|惹《ひ》かれた。二十八|歳《さい》の今日まで女を知らずに来たという話ももう冗談《じょうだん》に思えず、十八の歳《とし》から体を濡《ぬ》らして来た一代にとっては、地道な結婚をするまたとない機会かも知れなかった。思えば自分ももう二十六、そろそろ身を堅《かた》めてもいい歳だろう。都ホテルや京都
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