随分男も泣かしたが、女も泣かした。面白い目もして来たが、背中のこれさえなければ堅気《かたぎ》の暮《くら》しも出来たろうにと思えば、やはり寂《さび》しく、だから競馬へ行っても自分の一生を支配した一の番号が果たして最悪のインケツかどうかと試す気になって、一番以外に賭《か》けたことがない。
 聴いているうちに寺田は、なるほどそんな「一」だったのかと、少しは安心したが、この男のことだから四条通の酒場も荒し廻ったに違いないと、やはり気になり、交潤社の名を持ち出すと、開店当時入口の大|硝子《ガラス》を割って以来行ったことはないがと笑って、しかしあそこの女給で競馬の好きな女を知っている。いい女だったが、死んだらしい。よせばいいのに教師などと世帯を持ったのは莫迦だったが、しかしあれだけの体の女はちょっとめず……おや、もう上るんですか。
 部屋へ戻ると、女中が夕飯を運んで来たが、寺田は咽喉《のど》へ通らなかった。すぐ下げさせて、二時間ばかりすると、蒲団を敷きに来た。寺田は今夜はもう眠れぬだろうと、ロンパンを注射するつもりで、注射器を消毒していると、蒲団を敷き終った女中が、旦那《だんな》様注射をなさるので
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