娠させたので、学校は放校処分になり、家からも勘当された。木賃宿を泊り歩いているうちに周旋屋《しゅうせんや》にひっ掛って、炭坑《たんこう》へ行ったところ、あらくれの抗夫達がこいつ女みてえな肌をしやがってと、半分は稚児《ちご》苛《いじ》めの気持と、半分は羨望《せんぼう》から無理矢理背中に刺青をされた。一の字を彫《ほ》りつけられたのは、抗夫長屋ではやっていた、オイチョカブ賭博《とばく》の、一《インケツ》、二《ニゾ》、三《サンタ》、四《シスン》、五《ゴケ》、六《ロッポー》、七《ナキネ》、八《オイチョ》、九《カブ》のうち、この札《ふだ》を引けば負けと決っている一《インケツ》の意味らしかった。刺青をされて間もなく炭坑を逃げ出すと、故郷の京都へ舞《ま》い戻り、あちこち奉公《ほうこう》したが、英語の読める丁稚《でっち》と重宝《ちょうほう》がられるのははじめの十日ばかりで、背中の刺青がわかって、たちまち追い出されてみれば、もう刺青を背負って生きて行く道は、背中に物を言わす不良生活しかない。インケツの松《まつ》と名乗って京極《きょうごく》や千本の盛《さか》り場《ば》を荒しているうちに、だんだんに顔が売れ、
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