つこつと勤めて二年たつと、編輯長がまた召集されて、そのあとの椅子《いす》へついた。その秋大阪に住んでいるある作家に随筆を頼《たの》むと、〆切《しめきり》の日に速達が来て、原稿《げんこう》は淀の競馬の初日に競馬場へ持って行くから、原稿料を持って淀まで来てくれという。寺田はその速達の字がかつて一代に来た葉書の字とまるで違っていることに安心したが、しかし自分で行くのはさすがにいやだった。といって、ほかの者ではその作家の顔は判《わか》らない。私情で雑誌の発行を遅らせては済まないと、寺田はやはり律義者らしくいやいや競馬場へ出掛けた。ちょうど一|競走《レース》終ったところらしく、スタンドからぞろぞろと引き揚《あ》げて来る群衆の顔を、この中に一代の男がいるはずだとカッと睨《にら》みつけていると、やあ済まん済まんと作家が寄って来て、君を探していたんだよ。どうやら朝からスリ続けて、寺田が持って来る原稿料を当てにしていたらしかった。渡して原稿を貰い、帰ろうとしたが、僕も今日は京都へ廻るから終るまでつき合わないかと引き停められると、寺田はもう気が弱かった。スタンドに並んで作家の口から、君アンナ・カレーニナの
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