と舌を垂れ、ウオーウオーとけだもののような声を出して苦悶《くもん》していた。驚いて看護婦が強心剤のアンプルを切って、消毒もせずに一代の胸に突き刺そうとしたが、肉が固くてはいらなかった。僕《ぼく》にやらせろと寺田が無理矢理突き刺そうとすると、針が折れた。一代の息は絶えていた。歳月がたつと、一代の想出も次第に薄れて行ったが、しかし折れた針の先のように嫉妬の想いだけは不思議に寺田の胸をチクチクと刺し、毎年春と秋競馬のシーズンが来ると、傷口がうずくようだった。競馬をする人間がすべて一代に関係があったように思われて、この嫉妬の激しさは寺田自身にも不思議なくらいであった。ところが、そんな寺田がふとしたことから競馬に凝りだしたのだから、人間というものはなかなか莫迦にならない。
寺田は一代が死んで間もなく史学雑誌の編輯をやめさせられた。看病に追われて怠《なま》けていた上、一代が死んだ当座ぽかんとして半月も編輯所へ顔を見せなかったのだ。寺田はまた旧師に泣きついて、美術雑誌の編輯の口を世話してもらった。編輯員の二人までがおりから始まった事変に召集《しょうしゅう》されて、欠員があったのだ。こんどは怠けずこ
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