る。このまま静脈に刺《さ》してやろうかと、寺田は静脈へ空気を入れると命がないと言った看護婦の言葉を想い出し、狂暴に燃える眼で一代の腕を見た。が、一代の腕は皮膚《ひふ》がカサカサに乾《かわ》いて黝《あおぐろ》く垢《あか》がたまり、悲しいまでに細かった。この腕であの競馬の男の首を背中を腰を物狂おしく抱《だ》いたとは、もう寺田は思えなかった。はだけた寝巻《ねまき》から覗《のぞ》いている胸も手術の跡が醜《みにく》く窪《くぼ》み、女の胸ではなかった。ふと眼を外《そ》らすと、寺田はもう上向けた注射器の底を押《お》して、液を噴《ふ》き上げていた。すると、嫉妬は空気と共に流れ出し、安心した寺田は一代の腕のカサカサした皮をつまみ上げると、プスリと針を突き刺した。ぐっと肉の中まで入れて液を押すと、間もなく薬が効いて来たのか、一代はけろりと静かになり、死んだように眠ってしまったが、耳を澄《す》ませるとかすかな鼾《いびき》はあった。
 それから一週間たったあの夕方、治療に使う枇杷の葉を看護婦と二人《ふたり》で切って籠《かご》に入れていると、うしろからちょっとと一代の声がした。振《ふ》り向くと、唇の間からたらん
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