で》を消毒したりするのに手間取っているのを見ると、寺田は一代の苦痛を一秒でも早く和《やわら》げてやりたさに、早く早くと自分も手伝ってやるのだった。
 気の弱い寺田はもともと注射が嫌《きら》いで、というより、注射の針の中には悪魔の毒気が吹込まれていると信じている頑冥《がんめい》な婆《ばあ》さん以上に注射を怖《おそ》れ、伝染病の予防注射の時など、針の先を見ただけで真蒼《まっさお》になって卒倒《そっとう》したこともあり、高等教育を受けた男に似合わぬと嗤われていたくらいだから、はじめのうち看護婦が一代の腕をまくり上げただけで、もう隣の部屋《へや》へ逃げ込み、注射が終ってからおそるおそる出て来るというありさまであった。針という感覚だけで参ってしまうような弱い神経なのだ。ところが、癌の苦痛という感覚の前にはもうそんな神経もいつか図太くなって来たのか、背に腹は代えられぬ注射の手伝いをしているうちに、次第に馴《な》れて来て、しまいには夜中看護婦が眠《ねむ》っている間一代のうめき声を聴くと、寺田は見よう見真似《みまね》の針を一代の腕に打ってやるのだった。
 そんなある日、一代の名《な》宛《あて》で速達の
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