みこんだ。
 五代は丹造のきょときょとした、眼付きの野卑な顔を見て、途端に使わぬ肚をきめたが、八回無駄足を踏ませた挙句、五時間待たせた手前もあって、二言三言口を利いてやる気になり、
「――お前の志望はいったい何だ?」
 と、きくと丹造はすかさず、
「――わしゃ金持ちになりたい」
 と答えた。
「――そうか。それなら他所《よそ》へ行くが良かろう。おれはいま百万円の借金がある。この借金は死ぬまで返せまい。そんなおれに、金持ちになる道が教えられると思うのか。うはははは……」
 笑いやんで、五代は、
「――帰れ」
 と、言った。
 丹造はその後転々奉公先をかえたが、どこでも尻が温らず、二十歳の時には何とかの罪で罰金七円、二十一の時には罰金十円をくらった。
 それで何となく大阪に住みにくく、丹造は東京へ走った。職を求めて東京市中を三日さまよう内に、僅かな所持金もなくなり、本郷台町のとある薄汚いしもたやの軒に、神道研究の看板が掛っているのを見て、神道研究とはどういうものかわからなかったが、兎も角も転がり込んだ時は、書生にしてくれと、頼む泣声も出なかったほど、あわれに飢え疲れていた。
 広島|訛《な
前へ 次へ
全63ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング