相手が、安全なうちにと、暇をいただきたい旨言い出すと、お前は、
「――どうして、そんなこと言うんです。×子さん、何故、居て下さらんのか」
 と、ぼろぼろ泪をこぼして、浅ましい。嘘の泪が本当とすれば、恐らく折角手折ろうとした花に逃げられる悲しさからだろうか。まさか、と思うが、しかし、存外、そんなところもあるお前だったかも知れない。
 泣かれて、女事務員は辞職を思い止まった――というから、女というものほど当てにならぬものはない。
 そんな風に、お前の行状は世間の眼にあまるくらいだったから、成金根性への嫉《ねた》みも手伝って、やがて「川那子メジシンの裏面を曝露《ばくろ》する」などという記事が、新聞に掲載されだした。
 勿論、大新聞は年に何万円かの広告料を貰っている手前、そんな記事はのせたくものせなかったから、すべて広告を貰えない三流新聞に限られていたが、しかし、お前は狼狽した。
「――どうしましょう?」
 そう言って、おれの顔を見たその眼付きに、何故かおれはがっかりした。少しも冴えたところの無い、おどおどした眼付きだった。
 かつて、船場新聞で相手構わず攻撃の陣を張っていた頃、どこかの用心棒
前へ 次へ
全63ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング