ない。
 そんな芸なしのおれではなかった。……

 ――其の後、売薬規則の改備によって、医師の誹謗《ひぼう》が禁じられると、こんどは肺病全快写真を毎日掲載して、何某博士、何某医院の投薬で治らなかった病人が、川那子薬で全快した云々と書き立てた。世の人心を瞞着《まんちゃく》すること、これに若《し》くものはない。何故か? 曰く、全快写真は殆《ほと》んど八百長である。
 いったい丹造がこの写真広告を思いついたのは、肺病薬販売策として患者の礼状を発表している某寺院の巧妙な宣伝手段に狙いをつけたことに始まり、これに百尺|竿頭《かんとう》一歩をすすめたのであるが、しかし、どう物色しても、川那子薬で全快したという者が見当らなかった。
 そこで、丹造は直営店の乾某がかつて呼吸器を痛めた経験があるを奇貨とし、主恩で縛りあげて、無理矢理に出鱈目《でたらめ》の感謝状と写真を徴発した。これが大正十年、肺病全快広告としてあらわれた写真の嚆矢《こうし》である。
 ついで、彼は全国の支店、直営店へ、肺病相談所の看板を揚げさせると同時に、全快写真を提供した支店、直営店に対しては、美人一人あたり二百円、多数の医師に治療を
前へ 次へ
全63ページ中48ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング