、佐助、既にして汝は鳥人の極意を余す所なく会得《えとく》せり。これ以上の師弟の交りは、雲雨に似てあやし。われ年甲斐もなく、鼻血など噴きだした余りの見苦しさに、思わず姿を消してしもうたが、これ即ち師弟の別れと思うべし。汝はや鳥人たり。アバタ面をげす共に見られることもあるまい。臆し恥ずる所なく、往きて交り、機会《おり》あらば然るべき人にも仕うべし。されど、人と交るや、人しばしばその長所を喜ばず、その短所を喜ぶものと心得べし。即ち、汝のアバタ面は人に喜ばれようが、鳥人の術は喜ばれざる故に、心して用うべし。さらばじゃ」
と、いう声は、はや遙か嶺の上より聴えて来たが、その時の佐助は、既にその遙かの声が聴きとれるほどの、極意に達していたのである。
それから一月ばかりたったある日のことである。
「工夫に富める」上田の城主、真田幸村は三好清海入道はじめ、三好伊三、穴山、望月、海野、筧等六人の荒子姓を従えて、鳥居峠に狩猟を催した。
法螺と笛の名手、三好清海入道が笛を吹くと、大小無数の猿が集ったので、まず幸村自身が射たところ、幸村の矢は意外にも獲物に届かぬ先に、真っ二つに折れてしまった。
「奇怪至極!」
と、次に清海入道が試してみると、入道の矢は宙にぴったりと停ったかと思うと、いきなり入道の咽笛めがけて、戻って来た。
入道は驚いて身をかわした拍子に、尻餠をついてしまった。途端に、聴えたのは、カラカラと高笑いの声である。
「誰だ、笑う奴は……?」
と、入道はカンカンになって、
「――海野、お主か」
「いんや」
「穴山、お主か」
「いんや」
「筧、お主だろう」
「知らぬ」
「さては、望月だな」
「違う。大方貴様の弟だろう」
「おい。伊三、お前も。現在の兄貴を嘲笑するとは、太い奴だ」
「莫迦をいえ。わしが昨日から歯痛で、笑い声一つ立てられないのは、先刻承知じゃないか」
「ふーむ」
その時、また笑い声がした。
「おや、また笑ったぞ。畜生!」
と、思わずむいた入道の眼の前に、忽然として現われたのは、六尺三寸の大男だ。
「や、や、天から降ったか、地から湧いたか」
と、入道が叫ぶと、その男は、揚幕を引いて花道へ出た役者のような、気取った口調で、
「流れ星のように、天から降ったといおうか。蕈《きのこ》のように、地から湧いたといおうか。流れ星なら、尻尾も見えよう、蕈の類なら、匂いもしようが、尻尾も見えず、匂いもなしに、火遁《かとん》[#底本では「かとく」とルビ]、水遁《すいとん》、木遁《もくとん》、金遁《きんとん》さては土遁《どとん》の合図もなしに、ふわりと現われ、ふわりと消える、白い雲よりなお身も軽い、白雲師匠の秘伝を受けて、受けて返すはへぼ弓、へぼ矢、返らぬとかねて思えばあずさ弓、なき面に蜂のおかしさに、つい笑ってしまったが、笑えば笑窪《えくぼ》がアバタにかくれる、信州にかくれもなきアバタ男、鷲塚の佐助とは、俺のことだ」
と、名乗ったが、なお名乗り足らぬと見えて、
「――遠からん者は音にも聴け、近くば寄って眼にも見よ。見ればアバタの旗印、顔一面にひるがえる、あきれかえるの醜男と、六十余州かくれもなき、鷲塚佐助のこの面を、とっくり拝んで置け!」
と、続けたので、さすがの三好入道も、思わず失笑しかけた。
しかし、男同志が名乗り合う厳粛な時だと、笑いを噛みしめて、
「推参なり。我こそは、信州上田の鬼小姓、笛も吹けば、法螺も吹く、吹けば飛ぶよな横紙を破った数は白妙《しらたえ》の、衣を墨に染めかえて、入道姿はかくれもなき、三好清海入道なり」
と、名乗った。
そして、双方名乗りが済むと、三好入道はいきなり長槍をしごいて、佐助の胸をめがけて、
「エイッ!」
と、突いたが、佐助はぱっと樹の上に飛び上って、笑いながら、
「おい、入道とやら。その坊主頭、打ち見たところ、ちと変哲が無さすぎて、寂しい故、枯木も山の賑いのコブを二つ三つ、坊主山のてっぺんに植えつけてくれようか。眼から出た火で山火事無用じゃ」
と、言ったかと思うと、ぱっと飛び降りざまに、三好入道の頭を鉄扇でしたたか敲くと、入道は眼をまわして、気絶してしまった。
見ていた幸村は、何思ったのか、佐助に呼びかけて、あたら幻妙の腕を持ちながら、山中に埋れるのは惜しいと仕官を口説くと元来自惚れの尠《すくな》くない佐助は脆《もろ》かった。
やがて、幸村より猿飛の姓を与えられた佐助は、
「今日よりは、鳥居峠を猿(去る)飛佐助だ」
と、駄洒落を飛ばしながら、いそいそと幸村主従のあとについて、上田の城にはいった。
が、佐助はさすがに白雲師匠の教訓を忘れなかったのか、鳥人の術なぞ知った顔は一つも見せず、専らアバタの穴だらけの醜い顔を振りまわして行くと、案の定人に好かれた。
その頃、同じ城内に、悪病
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