猿飛佐助
織田作之助
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)未《ま》だうら若い
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)腰は二|重《え》に崩れ、
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)はな[#「はな」に傍点]から
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火遁巻
千曲川に河童が棲んでいた昔の話である。
この河童の尻が、数え年二百歳か三百歳という未《ま》だうら若い青さに痩せていた頃、嘘八百と出鱈目仙(千)人で狐狸《こり》かためた新手《にいて》村では、信州にかくれもなき怪しげな年中行事が行われ、毎年大晦日の夜、氏神詣りの村人同志が境内の暗闇にまぎれて、互いに悪口を言い争ったという。
誰彼の差別も容赦もあらあらしく、老若男女入りみだれて、言い勝ちに、出任せ放題の悪口をわめき散らし、まるで一年中の悪口雑言の限りを、この一晩に尽したかのような騒ぎであった。
如何に罵られても、この夜ばかりは恨みにきかず、立ちどころに言い返して勝てば、一年中の福があるのだとばかり、智慧を絞り、泡を飛ばし、声を涸《か》らし合うこの怪しげな行事は、名づけて新手《にいて》村の悪口祭りといい、宵の頃よりはじめて、除夜の鐘の鳴りそめる時まで、奇声悪声の絶え間がない。
ある年の晦日には、千曲川の河童までが見物に来たというが、それと知つてか知らずにか、
「やい、おのれは、千曲川の河童にしゃぶられて、余った肋骨は、鬼の爪楊子になりよるわい」
と、一人が言えば、
「おのれは、鳥居峠の天狗にさらわれて、天狗の朝めしの菜になりよるわい」
と、直ぐに言い返して、あとは入りみだれて、
「おのれは、正月の餠がのどにつまって、三ガ日[#底本では「三カ日」と誤植]に葬礼を出しよるわい」
「おのれは、一つ目小僧に逢うて、腰を抜かし、手に草鞋をはいて歩くがええわい」
「おのれこそ、婚礼の晩にテンカンを起して、顔に草鞋をのせて、泡を吹きよるわい」
「おのれの姉は、元日に気が触れて、井戸の中で行水しよるわい」
「おのれの女房は、眼っかちの子を生みよるわい」
などと、何れも浅ましく口拍子よかった中に、誰やら持病に鼻をわずらったらしいのが、げすっぽい鼻声を張り上げて、
「やい、そう言うおのれの女房こそ、鷲塚の佐助どんみたいな、アバタの子を生むがええわい」
と呶鳴った。
その途端、一人の大男が、こそこそと、然しノッポの大股で、境内から姿を消してしまったが、その男はいわずと知れた郷士鷲塚佐太夫のドラ息子の、佐助であった。
佐助は、アバタ面のほかに人一倍強い自惚れを持っていた。
その証拠に、六つの年に疱瘡に罹って以来の、医者も顔をそむけたというおのが容貌を、十九歳の今日まで、ついぞ醜いと思ったことは一度もなく、六尺三寸という化物のような大男に育ちながら、上品典雅のみやび男を気取って、熊手にも似たむくつけき手で、怪しげな歌など書いては、近所の娘に贈り、いたずらに百姓娘をまごつかせていたのである。
ところが、ひとり、庄屋の娘で、楓というのが、歌のたしなみがあって、返歌をしたのが切っ掛けで、やがてねんごろめいて、今宵の氏神詣りにも、佐助は楓を連れ出していたのだ。
それだけに、悪口祭の「佐助どんのアバタ面」云々の一言は一層こたえて、佐助の臓腑をえぐり、思わず逃げたのだが、
「あ、佐助様、どこへ行かれます」
と楓が追いつくと、さすがに風流男の気取りを、佐助はいち早く取り戻して、怪しげな七五調まじりに、
「楓どの、佐助は信州にかくれもなきたわけ者。天下無類の愚か者。それがしは、今日今宵この刻まで、人並、いやせめては月並みの、面相をもった顔で、白昼の往来を、大手振って歩いて来たが、想えば、げすの口の端にも掛るアバタ面! 楓どの。今のあの言葉をお聴きやったか」
「いいえ、聴きませぬ。そのような、げす共の言葉なぞ……」
「聴かざったとあれば、教えて進ぜよう。鷲塚の佐助どんみたいな、アバタ面の子を生むがええわい、と、こう言ったのじゃ。あはは……。想えばげすの口の端に、掛って知った醜さは、南蛮渡来の豚ですら、見れば反吐をば吐き散らし、千曲川岸の河太郎も、頭の皿に手を置いて、これはこれはと呆れもし、鳥居峠の天狗さえ、鼻うごめいて笑うという、この面妖な旗印、六尺豊かの高さに掲げ、臆面もなく白昼を振りかざして痴《こ》けの沙汰。夜のとばりがせめてもに、この醜さを隠しましょうと、色男気取った氏神詣りも、悪口祭の明月に、覗かれ照らされその挙句、星の数ほどあるアバタの穴を、さらけ出してしまったこの恥かしさ、穴あらばはいりもしたが、まさかアバタ穴にもはいれまい。したが隠れ穴はどこにもあろう。さ
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