の描写を簡略にし、年代記風のものを書きたいと思い、既に二作目の「雨」でそれをやった。してみれば、私の小説は、すくなくともスタイルは、戯曲勉強から逆説的に生れたものであると言えるだろう。私の小説の話術は、戯曲の科白のやりとりの呼吸から来ている筈だ。
「夫婦善哉」を書くまでは、一人の作家とも知己がなかった。原稿を見て貰ったことも教を仰いだこともない。間接に師と仰いだのは、前記の作家たち、ことにスタンダール、そしてそこから出ているアラン。なお、小林秀雄氏の文芸評論はランボオ論以来ひそかに熟読した[#「熟読した」は底本では「塾読した」]。
西鶴を本当に読んだのは「夫婦善哉」を単行本にしてからである。私のスタイルが西鶴に似ている旨、その単行本を読んだある人に注意されて、かつて「雨」の形式で「一代男」をひそかに考えていたことはあるにせよ、意外かつ嬉しかった。その頃まだ「一代男」すら通読していなかった私は、あわてて西鶴を読みだし、スタンダールについでわが師と仰ぐべき作家であることを納得した。
私は「世間胸算用」の現代語訳を試み、昨年は病中ながら「西鶴新論」という本を書いた。西鶴の読み方は、故山口
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