剛氏の著書より多くを得た。都新聞の書評で私のこの書を酷評した人があるが、私はその人たちよりは西鶴を知っている積りである。西鶴とスタンダールが似ていることを最初に言ったのは私であるが、これは他日詳しく論ずる。ただ、ここでは、私の西鶴観は「西鶴はリアリストの眼を持っていたが、書く手はリアリストのそれではなかった」というテエマから出発していることを言って置こう。これは即ち私にとっては、西鶴は大坂人であったということを意味する。もっとも、こう言ったからとて、私は西鶴を狭義の大坂人という範疇の中にせばめる積りはない。私にとって、大阪人とは地理的なものを意味しない。スタンダールもアランも私には大阪人だ。すこし強引なようだが、私は大阪人というものをそのように広く解している。義理人情の世界、経済の世界が大阪ではない。元禄の大坂人がどんな風に世の中を考え、どんな風に生きたかを考えれば判ることである。まして、東京が考えているエンタツ、アチャコだけが大阪ではない。通俗作家が大阪を歪めてしまったのである。
してみれば、私の文学修業は大阪勉強ということに外ならない。大阪は私の生れ故郷であり、そして私の師である
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