わが文学修業
織田作之助
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)熟読した[#「熟読した」は底本では「塾読した」]
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本当に小説の勉強をはじめたのは、二十六の時である。それまでは専ら劇を勉強していた。小説は殆んど見向きもしなかったようである。ドストイエフスキイやジイドや梶井基次郎などを読んだほかには、月月の文芸雑誌にどんな小説が発表されているかも良く知らなかった。その代り、戯曲は実によく読んだ。しかし、それも学者のようなペダンチックな読み方で、純粋戯曲の理論というものをつくりだすためにのみ読んでいたようである。こと劇に関する限り、変に理論家であったのは今考えてみるとおかしい。私の純粋戯曲理論から見ると、小説本など形式がだらだらして、なんだか汚らわしいように思われた。高等学校時代のことである。
高等学校は三高、山本修二先生、伊吹武彦先生など劇に関係のある先生がいて、一緒に脚本朗読会をやって変な声をだしていた。そういう関係から劇に志したのには無論違いないだろうけれど、しかし、中学校の三年生の時の作文に、股旅物の戯曲
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