を書いて叱られたところを見ると、もともと好きだったのだろう。そういえば、たしか小学校の五年生の時にも対話風の綴方を書いていた。彼女だとか少女だとかいう言葉が飛び出したが、それを先生は「かのおんな」「かのおとめ」と訂正して読まれた。
 戯曲ではチェーホフ、ルナアル、ボルトリッシュ、ヴィルドラック、岸田国士などが好きで、殆んど心酔したが、しかし、同じクラスに白崎礼三という詩人がいて、これと仲が良く、下宿も同じにしていたくらいだったから、その感化でランボオやヴァレリーやマラルメを読み、その雰囲気から戯曲を書いた。従って実に変梃な戯曲を書いていたようだ。十九から二十五まで七年の間に、四つ戯曲を書いた。そのうちの二つは、三高の五年生の時に、もう東京帝大へ行っている友人らとはじめた「海風」という同人雑誌に発表したが、問題にされなかった。
 大学へ行かず本郷でうろうろしていた二十六の時、スタンダールの「赤と黒」を読み、いきなり小説を書きだした。スタイルはスタンダール、川端氏、里見氏、宇野氏、滝井氏から摂取した。その年二つの小説を書いて「海風」に発表したが、二つ目の「雨」というのがやや認められ、翌年の
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