いつも、会えば陽気にはしゃいでいるのだったが、マズルカを口吟《くちずさ》みながら、橋の向うへ消えて行く彼女の後姿は、――会っていない時の、彼の想い出の中に活《い》きている彼女は、シイカは、墓場へ向う路のように淋しく憂鬱《ゆううつ》だった。
 カリフォルニヤの明るい空の下で、溌溂《はつらつ》と動いている少女の姿が、世界じゅうの無数のスクリンの上で、果物と太陽の香りを発散した。東洋人独特の淑《しと》やかさはあり、それに髪は断《き》ってはいなかったが、シイカの面影にはどこかそのクララに似たところがあった。とりわけ彼女が、忘れものよ、と言って、心持首を傾《かし》げながら、彼の唇を求める時。シイカはどうしても写真をくれないので、――彼女は、人間が過去というものの中に存在していたという、たしかな証拠を残しておくことを、なぜかひどく嫌やがった。彼女はそれほど、瞬間の今の自分以外の存在を考えることを恐れていた。――だから、しかたなく彼はそのアメリカの女優のプロマイドを買ってきて、鼻のところを薄墨で少し低く直したのであった。
 彼がシイカといつものように果物屋の店で話をしていた時、Sunkist という
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