の人通りの少い裏通りに轟々《ごうごう》と響いていた。彼は耳を掩《おお》うように深く外套の襟を立てて、前屈《まえかが》みに蹌踉《ある》いて行った。眼筋が働きを止めてしまった視界の中に、重なり合った男の足跡、女の足跡。ここにも感情が縺《もつ》れ合ったまま、冷えきった燃えさしのように棄てられてあった。
いきなり街が明るく光りだした。劇場の飾灯が、雪解けの靄《もや》に七色の虹を反射させていた。入口にシイカの顔が微笑んでいた。鶸色《ひわいろ》の紋織の羽織に、鶴の模様が一面に絞《しぼ》り染めになっていた。彼女の後ろに身長《せい》の高い紳士が、エチケットの本のように、淑《しと》やかに立っていた。
二階の正面に三人は並んで腰をかけた。シイカを真中に。……彼はまた頭の中の積木細工を一生懸命で積み始めた。
幕が開いた。チァイコフスキイの朗《ほが》らかに憂鬱な曲が、静かにオーケストラ・ボックスを漏れてきた。指揮者のバトンが彼の胸をコトン、コトン! と叩いた。
舞台一面の雪である。その中にたった二つの黒い点、オニエギンとレンスキイが、真黒な二羽の鴉《からす》のように、不吉な嘴《くちばし》を向き合せてい
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