彼の頭の中には疑心と憂鬱と焦慮《しょうりょ》と情熱が、まるでコクテイル・シ※[#小書き片仮名ヱ、28−上段−1]ークのように攪《か》き廻された。彼は何をしでかすか解らない自分に、監視の眼を見張りだした。
川沿いの並木道が長く続いていた。二人の別れる橋の灯が、遠く靄の中に霞んでいた。街灯の光りを浴びた蒼白いシイカのポオカア・フェスが、かすかに微笑んだ。
――今日の話は皆んな嘘よ。私のお父さんはお金持でもなければ何んでもないの。私はほんとは女優なの。
――女優?
――まあ、驚いたの。嘘よ。私は女優じゃないわ。女が瞬間に考えついたすばらしい無邪気な空想を、いちいちほんとに頭に刻みこんでいたら、あなたは今に狂人になってしまってよ。
――僕はもう狂人です。こら、このとおり。
彼はそう言いながら、クルリと振り向いて、女と反対の方へどんどん、後ろも見ずに駈けだして行ってしまった。
シイカはそれをしばらく見送ってから、深い溜息をして、無表情な顔を懶《ものう》げに立てなおすと、憂鬱詩人レナウのついた一本の杖のように、とぼとぼと橋の方へ向って歩きだした。
彼女の唇をかすかに漏れてくる吐息とともに、
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